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教員不祥事が多すぎる。道徳が正式な科目になるけど、先生の倫理観の方が心配

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こんにちは、たけのこです。

 

義務教育で2018年から小学校で、2019年から中学校で、道徳が教科書をつかった正式な科目になることをご存知でしょうか。

 

私が小学生の頃も、道徳の授業ってありましたが、その時も教科書あったようなって思うのですが、無かったんでしょうね。

 

この話を聞いて気になったのは、教員の不祥事に関するニュースが絶えないことです。

最近のニュース集めただけでこんなことに...大丈夫かよ...


ちなみに教員の懲戒処分訓告を受けた人数は

平成25年9,494人

平成26年9,677人

平成27年6,320人

決して少ない人数では無いでしょう

 

また、私自身が教師に対する信頼がないこともあって、

良心を育む教育を行える教師が日本にどれだけいるのか心配なのです。

 

生徒にも道徳は必要ですが、それ以上に教師に対する道徳教育が必要だって言われてもおかしくありません。

 

今回は学校の先生について思う事を書きたいと思います。

 

私は教員の家系の出身だった

私の家系はなぜか教員が多いです。

父も、姉も教員、母も教員免許をもってます。

それ以外にも親戚にも教員がたくさんいます。

 

校長先生までなった人もいます。

 

そんな一族で育った私は、学校の先生が大嫌い。

とはいっても、キライなのは小中学校の先生たち。

高校は私立だったためか、尊敬できる先生が多くいました。

 

義務教育の期間に出会った教員のせいか、私は教師には絶対なるまいと思い、今はその夢はかなってます。

 

義務教育の教師に対する不満

小学校、中学校では教師に恵まれなかったのか、私自身に問題があったのか、私にとっては不遇の時代だったように思います。

 

理由は多々ありますが、

教師に媚びを売る生徒が可愛がられ、自適に過ごしている生徒が教師から抑圧されていたことが大きな理由の一つにあるでしょう。

 

また、教師が生徒に対して誤りを指導する際に、罵声や体罰、論理的でもなんでもない話で生徒を押さえつける場面が多くみられました。

(ゆとり世代でも、体罰が普通にありましたね。)

 

先生という正義を振りかざし、生徒の悪を成敗するのが教員と感じさせられたこともあり、だんだんと私は自己主張せず大人しく、目立たないように生きていました。

 

高校の教師に救われた経験

一方で、高校生になってからは世界が一変しました。

 

私立の高校ということもあり、規律には厳しいところがありましたが、多くの教師が指導方法はそれぞれですが、生徒一人ひとりに想いをもって接してくれていました。

 

勉強できる人間ではなく、人として大事なこと、人間教育に力を入れてくれていたんだと思います。

 

そんな先生たちは皆何かに秀でていて、個性的で自由で、ユニークな人ばかりでした。

 

10か国語話せる教師や、英検大好きな人、気合と根性と愛情で生きてる人、理科の先生なのにたいていの実験で失敗する人、無口で怖いけど高い知識と指導力で私を世界大会まで導いてくれた人、書道の達人、妖精が見える人...

 

型にハマらない多様な先生たちの人間性や、指導に対する姿勢、何気ない会話から多くの価値観や大事にすべき学びを得ました。

 

今思えば、先生から受けた授業で学んだことよりも、先生という人間から受けた影響が私を成長させてくれたように思っています。

 

多くを語らなくても教師の姿を見て生徒が育つ。

それがあるべき教師の姿と、私の中で一つの定義になっています。

 

道徳が正式な科目になるけど、先生と呼ばれる人の倫理感が心配

こんな、私の経験があってからか、人として魅力のない人間が教師となっている場合、科目として道徳が採用されようが、教科書が作られようが無駄にしか思えないのです。

 

暴言、体罰、わいせつ行為、犯罪等不正行為、いじめを無かったことにする行為...

表立っているだけでも教員の不祥事がとにかく多すぎます。

 

若者の自殺が止まらない日本。「生きる」を教えるのは家庭それとも学校? - たけのこlabo.

 

このような倫理観の無い教師が多くいる中で、誰が、どのような基準で教師になる人間を選定しているのか、採用後の指導教育しているのか、疑問しかありません。

 

もちろん努力して素晴らしい先生もいることは、わかります。

 

でも本来は教師となるべき人はそのような尊敬されるべき人であって、反面教師のようなこんな大人になっちゃいけない例みたいな人で溢れていたら困るのです。

 

鶏が先か卵が先か

では、教師を信頼できない状況があるなかでどうするべきなのか。

 

マクロに見れば教師の指導力がないから教科書と教育指導要領をもとに教育を施す。

→生徒が自ら成長し、将来よき教師や社会人となることを願う

 

教師の指導力の向上、教師となる人材の選定方法の変更、企業などから外部講師を導入

→教員全体の底上げをはかり、生徒指導力の向上させる

 

鶏が先か卵が先かみたいな感じですね。

生徒が先か、教師が先か。

 

 なんか問題解決にはならなそうです。

 

教師になんでも求めすぎている?

教師をしている父や姉と教育について語りあったことがありました。

「すべての生徒を見きるなんてことはできない」

 

「YouTuberになりたいという子供に何を教えていいかわからない」

 

「今の子供は幼い時からスマホを触っているからか、考える力が弱い」

 

「親が一番子供のことわかってないのに、教師に『うちではこんなことしない』とか言って責められる」

 

等々、普段の不満なのかグチなのか言っていました。

 

思ったのは教師である父と姉がどこかで諦めを持って教育に当たってること。

教師というと、教育に情熱をもって取り組んでいるんだと思うのですが、何かを諦めているように感じたんです。

 

何でだろうか。

 

そんな姉の生活を聞いてみると、夫も教師で部活もちのため、休みが1年で数日しかなく、姉自信も授業の準備で休日出勤もしばしば。

その上、授業以外の対応も多々あるようです。

そして姉夫婦には、二人の子供がいます。

 

仕事はある意味ブラック。

自分の子供の面倒も見る時間がなかなか取れない。

 

教師にいろんなことが求められすぎていて、教育現場に余裕がない状態が慢性化し、それが諸悪の根源なっているのかな。

 

教師が時間と余裕を持てるように

つまるところ、まずは教師の働き方改革が先決なのでしょう。

 

始めから悪いことしようと思って教師になる人はいないです。

しかし、仕事忙しすぎるからみんな疲れて、教育に対する情熱が変化し、何かおかしくなって、過ちを犯しちゃうのかなって。

 

民間企業はもっと忙しいんだから甘えるな!とかそういうのは置いといて。

 

教師にもっと余裕を持てるようにして、学ぶ時間や研究する時間を作ってあげてほしいです。そしたら、小中学校の先生だって、大学教授みたいに研究とか勉強ができるじゃないですか。

授業や部活で手一杯じゃ、教師自身が学び成長する機会が失われて、教員としての能力が磨かれません。

 

教師が情熱を持ち続け、教師としての能力を磨き、それを生徒にぶつける。

 

そうしたら、教師のレベルも上がるし、生徒指導にも効果があるのではないでしょうか。

教師の不祥事だって減るかもしれません。

 

魅力ある先生がいなきゃ、魅力ある生徒、いずれ社会を支える人間は育たないです。

始めに先生嫌いとかいってごめんなさい。

教師の皆さん、よき未来のために頑張ってください。